ええと、まだ少クラも大奥ナビも捕獲していないしょぼですこんばんは。
大奥までカウントダウンが始まりました。
少クラ。ニノ×大倉くん、なかなか面白いらしいですね。そのうちどっかから拾ってきます(あれこの発言アウトかしらん)。
大奥ナビは、こちらでは30日(木)のド深夜にやるのです。すげえトコに入れたなオイ。数時間後に劇場公開だよ(笑)。
それでもどこでもいいから何が何でも放送しろというキー局の圧力が伝わってきて頼もしい限りです(?)。そしてそれに精一杯抵抗する地方局(…)。
さて前フリはこれくらいにして。
二宮さんの大奥インタビューで必ずと言っていいほど出てくる言葉、それは“生命力”、そして“死”。
金子監督に、「水野は生命力の強いキャラクターでいて欲しい」、ただそれだけのテーマを与えられて、突き詰めたら一見真逆に思える“死”についてずっと考えていた、そういろんな媒体で話しています。
「死にたくない」って思うときがいちばん「生命力が強い」ときなんじゃないか、生命力の強さは死と隣り合わせなんじゃないか、と。
実は私はこれらを読んで、「私、似たようなこと、なんかどっかで感じたことあるなあ……」と、ずうっとモヤモヤしていました。
そしてハタと気づきました。
そうだ、「硫黄島の手紙」の西郷を見たときだ!!!
常に死がひたひたと追いかけてくる毎日。
暑さ、空腹、疲労、そして水が合わずに死んでいく仲間もいるなか、確実に地に足をつけて、どんなときも両目で現実を見つめて、ときにはしたたかに生き抜いていく西郷。
死がすぐそこにある極限の状況では、生きること=死なないこと。生命力=死なない力。
あの作品のなかの西郷は、私にとってはまさしく生命力の強い男でした。そしてそれは恐らく二宮さんが今回考えたことそのままで。
西郷と水野が、私のなかでがっちりとリンクした瞬間。それはもう鳥肌が立つほどに。
そう思ったらどうしてもまた西郷を見たくなって、近所のお店でDVDをレンタルしてきました。
私がいちばん好き(と言ったら語弊があるかな)なのは、有名な、西郷と清水(加瀬亮)が対峙するシーン。
すり鉢山での集団自決で、同じ部隊の人間は西郷と清水以外全員死亡、西郷が栗林(渡辺謙)の指令どおり北の部隊と合流するべく走りかけたそのとき、清水が西郷に銃を向ける。
そのとき西郷が清水に向かってこう言い放つ。
「ここでこのまま死ぬことと、生きて戦い続けること、どっちが陛下の御為になる?……あぁ?……どっちだーーーーー!!!!!」
いやぁ、何度見ても凄い。何度見ても背筋に悪寒が走るのです。
ちょっと話はそれるかもしれないけれど。
ねぇニノ、私はあなたが「嵐の一員として」お芝居の現場に呼ばれているわけではないと思う。あなたがオファーされるときは、「俳優・二宮和也」が求められているんだと思う。もうそろそろそれを認めてもいいんじゃないかな。
そして、そこで得た宝物を嵐に還元することで、ちゃんと、恐らくあなたが失うことを怖がっているであろう、「アイドル・嵐の一員、二宮和也」でいられると思うんだけど、どうかなぁ。
話を戻すと、何があっても出来る限り「生きる」ほうにベクトルを向け続けた西郷、を完全に演じきった二宮和也。
磯山プロデューサーのオファーのいちばんの理由は、もしかしたらここにあったのかもしれない、と思いました。
そして私……硫黄島からの手紙、買ってしまいました(爆!)。