キラキラなしょぼい日々の格納庫

お引越ししてきました。大切な過去のキラキラをここにひっそりと。

自己愛の大きさ、人それぞれ

ほんとうは、「スマイル」レビューのつづきを書こうと思ったのですが、時間がなくなりました。
……あ、そんな報告いらない?(笑)

いつも物事をまっすぐに見ることができる人、壊れにくい心を持ってる人というのは、その人の持つ自己愛の大きさが健全なんだと思います。
(ナルシストとかそういうことではありませんです~!)
何の理由づけをしなくっても、自覚なしに、「私はここにいていいんだ」って思える人。
そしてその自己愛の大きさや健全性は、大部分が3歳の頃までにつくられるという説があるんですよね。
だからその時期に自己愛を削られるような環境にあった人は、大きくなってから自分の努力で欠けた部分をうめなきゃならない。
これって、健全な自己愛を持つ人には想像できないくらい、たいへんな作業だったりします。
年齢によっては、生きてくだけでいっぱいいっぱい。
そしてその欠けた部分のうめ方が間違った方向にいくと、悲惨な結果が待っていたりもする。

その典型が、ビトと林だろうなあ、と私は思っておりますです。

今回の震災でも、(被災者でもそうじゃなくても)早めに、「ナチュラルに」前向きになれた人は、自己愛が健全なんだろうなあと思ったりします。
でもそうじゃない人も、たっくさんいると私は思っているからさ。
ブログででもなんででも、どこかで感情を出せる人はいいんですよ。出すという行為で少しスッキリ、となれるので。
けれど、その場がない人のメンタル状態が、いま私はいちばん気になります。
自己愛がいびつで、家も家族も家財道具もすべて流されて、八つ当たりしたくてもできる相手もいない。
支援者につねにありがとうを言わなくっちゃいけない。
テレビをつければいつもがんばれって言われる。支援者の車にもがんばろうってステッカーが貼ってあったりする。

ああ、しんどいだろうなあ、って思います。

もう、「被災地」「被災者」ってひとくくりにできないほど、「被災」した人のなかでも格差が広がっているな、というのはここ最近感じてて。
あときっと震災のときに見たものの違いも大きいですよね。
目の前ですべて流されてったり、そして残ったもの(敢えて何かは言いません)だったり、を見た人と見てない人じゃその傷の深さも違うと思う。
くくっちゃいけないんだろうな、もうそろそろ。

とりとめもなくダラダラ書きましたが。
「こんだけ書けるなら、『スマイル』のレビュー書けたんじゃないのか!」
……というツッコミには全力でスルーさせていただきます(笑)。しかもこれ、「スマイル」カテゴリじゃないような。まあいっか。