ちょいと間が空いてしまいましたが、果たしてみなさんおぼえてくださってるでしょうか……。
忘れたかたや、なにそれ?というかた、このお話は前篇からのつづきモノです。よろしくどうぞ。
それでは後篇、まいります。
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夕食の時間になった。
この宿は、ホテルとは名ばかりで、どちらかというとペンションに近い。
1階に食堂があって、好きなテーブルについたらそれぞれに夕食が運ばれてくるようになっていた。
ゴーヤチャンプルー、ゆし豆腐、もずくの味噌汁、ごはん。
いかにも手づくりという素朴さが、逆に食欲をそそる。
彼女は見かけなかった。先に食べたのだろうか。
宿のおじさんが、食膳を配りながら、天体観測所に行きませんか、とみんなに言っていた。
どうやら希望者を宿のバンで連れて行ってくれるらしい。
その場にいた全員、歓声を上げながら、行きます、と声をあげた。
ふうん、そんなところがあるんだ。とくにほかにすることのない俺もその流れに乗っておいた。
今日は天気がいいから星が綺麗に見えるんだろうな。
夕食を食べ終わり、少しの間部屋でまったりして、集合時間になったので1階に降りた。
もう俺以外は全員集まっているようで少し焦った。
あ、……彼女の姿もある。
薄暗いなかバンに乗り込んで、天体観測所に向かった。
車が止まったその場所は、まわりに何もないところに、ぽつんと建物がひとつ建っていた。
ほかにも車が停まっているから、この広い土地はおそらく駐車場なのだろう。
いろんな宿からも来ているみたいだ。ということはここは有名な場所なのだろうか。
ふらふらと前の人についていく俺の耳に、後ろから聞きおぼえのある声が飛び込んできた。
「今日はきっと南十字星がよく見えるね」
ふり向くと、彼女だった。
そう言ってすうっと漆黒の空を見上げてる。
「南十字星?ここから見えるんですか?」
「うん。って、もしかして、知らなかったの?」
「……いやあ、まあ」
「有名だよ。日本で南十字星が見られる有人島って、ここだけなの。しかも期間限定」
「へええ……」
「期間でも曇ってたら見えないし。だからキミはすごくラッキーなんだって!」
「そうなんですね」
「って、全然ラッキーそうな顔してないね」
彼女が微笑みながらじっとこっちを見つめた。
何かを見透かされる感じがしてどきっとした。それでつい言葉がすべった。
「とりあえず」
「うん?」
「どこか遠くに行きたかったんです」
「うん」
「全てを忘れられるところならどこでも」
「うん」
「思いつきでここに来て。何にも知らなくて」
「うん」
「……って、俺何言ってるんでしょうね」
「いいんじゃない」
太陽の光の気配が全く消えて、高台にはさわやかな風が吹く。
「こういうところにひとりで来てる人って、多かれ少なかれみんなそういうもんもってるし」
「……」
「あ、ほら置いてかれちゃう。とりあえずなか入ろうよ」
観測所の職員の説明を聞きながら、順番を待って望遠鏡をのぞいた。
あれが南十字星か。
下のほうが沈みかけていた。もうすぐ見えない時期に入るのだそうだ。
俺と入れ替わりに、彼女が望遠鏡をのぞいて、すぐに降りた。
集合時間まで、めいめいが好きな場所で好きなことをしていた。
彼女に、外に行かない、と誘われて、観測所の駐車場でふたり空を見上げた。
……満天の星がたくさん!
「うわ、すっげえ!」
「でしょう。南十字星のことを知らないなら、こっちのほうが喜ぶかな、と思って」
彼女は俺を見てニコニコしてる。そしてその場でゴロンと寝転がった。
その姿が気持ち良さそうで、俺も真似して彼女の隣に寝転がった。
星が降ってくるみたいだなあ……。
ふと、なにかやわらかくてあったかいものが指先に触れた。
彼女の指だった。
なんとなくそっと握ると、向こうもやさしく握り返してきた。
そのまま俺と彼女は、手をつなぎながら、何も言わずに寝転がってぼうっと星を見ていた。
遠い遠いこの島で、こんな非日常なかんじも悪くない、と思った。
先に口を開いたのは彼女のほうだった。
「ねえ、明日はどうするの?」
「どうするって、……なにも決めてない」
「ふうん?いつまでここにいるつもりなの?」
「いや、決めてない」
急に彼女が起き上がってこう言った。
「じゃあさ、明日ここを引き上げて、石垣島に戻らない?」
「へ?」
「私も、明日もその先も、予定なんにも決めてないの」
「はあ」
「だからさ、いったん石垣に戻って、そこからいろんな島に行こうよ!」
俺と一緒に?と言いかけて、そんなこと聞くのも野暮だな、と思った。
こうなったら流されるままどこへでも行こうか。
日常ではあり得ない展開に、そんなことを思ったのも、この星空と島の空気からかもしれない。
宿へ戻ってパッキングをし、翌朝、ふたりで石垣行きの1便で石垣島に渡った。
恋人どころか、どこの誰かもわからない相手とずっと一緒にいるのは、客観的に見るとおかしかった。
いいや。……今はきっと、そういうおかしなことをする時間なんだ。
石垣島の港沿いのビジネスホテルで、ツインひと部屋をチェックインした。
どちらからも異論は出なかった。
小浜島ではさとうきび畑のなか自転車を走らせて。
竹富島では白い白い道をハイビスカスを見ながら歩いて。
黒島では牛と魚となまことの出会いがあって。
鳩間島ではそのひときわきれいな海の色にびっくりして。
西表島では星の砂をとってマングローブを見てこんもりとした緑を眺めて。
毎日、そのホテルの部屋を拠点に、日帰りであらゆる島に行った。
この地域では、船をこんなに日常的に使うものだということを初めて知った。
彼女はどの島のことも詳しく、ありとあらゆるいろんなことを教えてくれた。……彼女自身のこと以外は。
ふたりともずっと子どもみたいに笑ってた。
そして最終便で帰ってきて、同じ部屋で疲れ果てて死んだように眠る。
いつしかそれが当たり前に感じられるようになった。
隣のベッドにはよく知らない人。けれどお互いに相手に指一本触れることなく。
綺麗な女の人がすぐそばに寝ていて、何もしようとしない自分をちょっと不思議に思うこともあった。
そういえば俺、しばらくしてないんだけどなあ。
たぶん手を伸ばせば簡単に届く。
……もしそうすると、この幻のような日々が終わってしまうような気がしていたのかもしれない。
ひととおり石垣島から日帰りで渡れる島に行き終えたある日。
珍しくベッドに入ってもすぐに眠れなかった。
横を向いて、ベッドのなかから寝息をたてている彼女をぼうっと見つめた。腕を出して眠っている。
細くて折れそうで、だけど最初に見たときよりほんの少し日に焼けて健康そうになった腕。
そこから視線を彼女の指先に走らせた。
あの左指のは、どう見ても結婚指輪だよな。
そのときふいにごそっ、と音がして、彼女が目を覚ましてこっちをまっすぐに見た。
きらきら光るビー玉みたいな目。ああ、夜暗いなかで見るといっそう綺麗だな。そう一瞬見とれた。
彼女は彼の視線の先に気づいていたのかいないのか、からだをこっちに向けてこう口を開いた。
「私、結婚してんだよね」
初めて彼女の口から出た、彼女自身についての言葉だった。
ベッドで向かい合って聞くとシュールだ。
「だと、思ってました」
「ふふ、それなのになにしてんのこの女って思ってたでしょ」
「……」
「こんなところで、若い男とあてもなくふらふらしてさあ」
「いや……」
「でも、楽しかったの。とっても楽しかったの」
彼女の目から涙がこぼれた。
それに気づいてはいるのだろうが、かまわずさらに言葉を発する。
「ずっと、ずっと、私のせいだって思ってた」
「……」
「だから、……でもここへ来てあなたと会って、いろんなところに行って、毎日楽しくて」
「俺も楽しいですよ」
「ほんとは帰らなきゃいけないのに、ちゃんと、ちゃんと自分のしたことと向き合わなきゃいけないのに」
「……」
「あの人、きっと今頃天国で」
俺はしゃくりあげている彼女の口をふさいだ。
柔らかい唇にキスをした。
「もういいです。……もういい」
そのまま、華奢なからだの彼女を抱いた。
慰めあう、ってこういうことを言うんだろうな。でもいいじゃん、それでお互いに一瞬でも救われるのなら。
とまることなく彼女の頬をつたう涙を、何度も何度も舌ですくいとりながら、俺はそんなことを思った。
そしてふたりとも深い眠りについた。
朝、目が覚めたら、彼女はいなかった。
荷物もすべて消えていた。うすうす予想していたことだったので、そう驚きはしなかった。
ただぽっかりと心に穴が開いた気分だった。
彼女の笑顔、そしてゆうべの余韻が浮かんでは消えた。甘い痛みが俺を襲った。
ベッドサイドには1枚のメモ。ただひと言。
あ り が と う
俺はそれをくしゃっと握りしめ、ホテルの部屋のゴミ箱に放った。
さて、……いいかげん俺も日常生活に戻らなきゃな。帰ったら仕事がきてるかもしれないし。
シャワーをざっと浴びて、ホテルをチェックアウトし、バスで石垣空港に向かった。
空港で、見おぼえのある後ろ姿を見かけた。
まだいたんだ。バスを1本遅らせればよかったな。うかつな自分に内心苦笑しつつ、声はかけなかった。
あれは夢だ。すっげえ楽しい、幸せな夢。……俺は夢から醒めなきゃいけない。
ほんとに楽しかった、俺のほうこそ、ありがとう。
彼女がこっちを向いてる気もしたが、俺はそのまま保安検査場に向かった。数時間後には現実が待っている。
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お、お、終わったぜ~!!!(ぜいぜい)
ほんとに長くてすいません、よう読み返してもいないけどアップしちゃいます(笑)。
これでとりあえず全員ぶんの「妄想劇場シリーズ」、終了です。
ここまでおつきあいいただきお読みくださったかた、ほんとうにありがとうございました!